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恋しきの歴史

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「恋しき」のある府中市は、大化の改新後に備後の国府が置かれた古い歴史のある街。
石見銀山に通じる石州街道の要衝として江戸時代には周辺の特産品(木綿・藍・タバコ)や山陰地方の特産品がここを経由して全国へ運ばれ、府中市は宿町としてその拠点的役割を果たしてきました。

 

明治5年、土井利助が恋しきの原型である「旅館土生屋」を開業。その後、当時の財界人・延藤友三郎の提案により名前を「恋しき」と改名します。

 

後に恋しきは「戀一色」の通称で親しまれていた時期もあり、奥深さや色気を感じるネーミングが人々の心を捉えていました。

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その後恋しきは、利助の子・タケが女将となることで発展し、大正7年には当時のお金で2万円と言う大金を投入。高僧が母屋の3階から指揮を取り庭園を整備し備後エリアのシンボルとしてその名を広く知れ渡ることとなります。

 

当時、数多くの政治家、文化人が訪れ、犬養毅や岸信介、福田赳夫といった歴代の総理経験者や鳩山威一朗などの大物政治家も宿泊した記録が残っています。
文化人では井伏鱒二、吉川英治、田山花袋などの作家、人間国宝の狂言師・茂山千作や備前焼の重鎮で人間国宝の金重陶陽の名前が宿泊者名簿にあります。

 

こうして一時代を築いた恋しきは登録有形文化財基準の「再現することが容易でないもの」に該当するとし登録文化財となり、府中市のシンボルとなりました。

 

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恋しきは宿場としての役割を終え、広く繁栄した当時の面影と美しい庭園はそのままに、2012年11月18日「町屋Cafe&Dining恋しき」をメインテナントとした複合商業施設として再スタートを切りました。

 

「新しい価値観は、古いものにあり」
訪れた皆様が席についてコーヒーを飲む時、あるいは庭を歩いて空を見上げた時、そして古い柱や瓦の色褪せた懐かしい息吹を感じる時、正に温故知新という言葉を体感することになるでしょう。

 

積み重ねた時間と歴史の重みは、現代の技術で無機質に造られる建築物では再現できない、重厚感とノスタルジーを教えてくれます。多くの人の想い出が府中の澄んだ空気と共に流れるこの場所は、今後も永く愛され、語り継がれるシンボルなのです。

 

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